お嬢さま至上主義

とあるポンコツギャルゲーマーの日常です

半径6300キロは この手の届く距離

彼女は高空に祈らない⑪

コンプリート

 

※ネタバレあり

 

 

 

 

えー、というわけで、かのそらコンプに差し当たって総合的な感想の場を設けようかな、と思ったのであります

今までの記事では文字数の都合…というよりも、こっちの時間的な都合で触れたかったのに触れられなかった話題とかあるしね~

 

一番は…やはりサクヤ姫だろうか

恵まれた容姿からお出しされるクソみたいなお花畑脳には参っちゃったよね~

いやいやいや、アナタ初登場時から無名のワンコ祟り神をぶち殺しとったやないかい、みたいなね

大国主とどんな会話を交わしたかは不明なままだったけど、人間を恐怖で支配しようとしているような輩がロクなことを考えているはずがないんだよなぁ

何でそれがわからんかね…

そもそもアマテラスの虐殺について思うところがあったみたいだから、敵対すること自体は不自然じゃないんだけどさ

ドSのアマテラスをもって心優しいと評されるサクヤ姫が、いかにして「祟り神を守るために人間は苦しんでも良い」という結論に辿り着いたのか…それは教えてほしかったところ

じゃないと、マジで「何言ってんだこいつ」しか印象がないから…

 

もう一つ、タイトルの「彼女は高空に祈らない」の意味について

アマテラスの個別イベントでは、他のヒロインたちに比べて「神とは」、「信仰とは」といった根本的かつ本質的なテーマが用いられることが多かったのね

そこでアマテラスは「信仰とは、すなわち信じることである」と主人公に語っていた

こうして文章にしてみると、めちゃくちゃ当たり前のことを言ってるだけに思えてくるんだけど、よくよく考えてみると結構深いような気がしてきたのね

人間は遥か昔から自分たちの手に負えないような事態が起きた時は、神さまに救いを求めて祈ってきた

それは神さまなら何とかしてくれる、神さまが自分たちを助けてくれる、そう心の底から信じていたからじゃないだろうか

苦しい時の神頼み、なんて言葉まであるくらいだから、神さまってのは最後の最後に人間が願いを託す存在だったわけだ

そう考えると、祈りというのは純粋な信仰心の塊だと言えるのではないか

では、アマテラスの立場ならばどうか

彼女は神そのものである、しかも高天原の女王と呼ばれているほど力のある神さまである

そんな彼女には祈るべき相手…信じて縋るべき相手がいたのだろうか??

いなかったからこそ、彼女が高空に祈ることはなかったのではないか??

否、そうではないとわたしは思う

彼女は最高位の神さまで、ならば彼女が救われようと願い祈る神はいなかったのだろう

けれど彼女にとって縋るべき、祈るべきものがなかったとは思わない

それは二千年後に叶うと信じた再会の約束であり、そして気の遠くなるような輪廻の果てに誓った再会の約束なのではないだろうか

彼女は確かに高空には祈らなかったが、たった一つの想いが成就することを未来永劫、信じて生きていく…それこそが彼女の信仰そのものだと思うと、あのうら寂しいエンディングも少しは前向きに捉えられる気がしてきたんだわ

 

以上!

SLGとしてはいろいろガバい部分もあったけど、ヒロインがかわいいというだけでギャルゲーとしてはオールオッケーなんだ!

FDでりっちゃんとミニ真とイナリさんとミナカタと大禍津神ちゃんのシナリオが堪能できれば、言うことなかったよ!

 

 

 

お次はZEROの「ひっぱりっこ-姉妹がHバトル?!-」をプレイ中

これアレだ、ZEROの頭痛が痛いシリーズだ(と、わたしが勝手に呼んでいる)

攻略順は

ほとり→あすか→ハーレム

の予定